牡羊の歌と雌羊の国

好きなもの、趣味、備忘録、雑記のブログ。

ほっぺにビンタを受けた


したじきと申します。


このはてなブログと言うエリアの中でウイさんと言う方がいらっしゃって、
何年前かはもう覚えていないけれど、その方が書かれているブログ記事「364日震災のことは忘れています」を読みました。
タイトル通り、平手打ちをバチーンと受けたようなそんな衝撃でした。

ウイさんのブログ記事はこちら
364日震災のことは忘れています - ハッピーエンドを前提として


このブログタイトルを読んだ時に「なんてことを言うんだろう」と思ったのですが、同時に「自分もそうかもしれない」とも感じました。
もっと酷くて私はこの日が来なければ365日忘れているのでは?なんて。
良くブログを読むとタイトルの印象とは全然違う内容だったので、自分の決めつけにもげんなり。



東日本大震災が発生した時、私はマンションなどのリノベーションやリフォームを行う会社に勤めていて、自分の体感としては揺れは感じませんでした。

その後、会社の休憩室に設置してあるテレビでニュースを追いかけて、事態の深刻さや未曾有の災害がリアルタイムで起こっていることに恐怖しました。

映像で観るそれらは現実で起こっていることとまるで信じられないし結び付かなくて、、、


そして私自身の仕事の領域では、建築の資材や設備の納品がなくなったり遅れたり、この後にさぁ工事スタートと言うようなところから一転契約がなくなってしまったり。

そしてそれを会社の上司に責められながらどうやって挽回していこうか、なんて途方に暮れたりしていました。


今振り返ると、災害を前になんて自分勝手なと思いますが、当時の自分では自分の生活を守ることに必死でした。
そうして毎日に忙殺されていく。



その後転職した会社で復興支援のプロジェクトに関わり、以前よりも震災の被害や復興における課題を認識するようにはなるのですが、それでも毎日そのことを考えている訳ではなかったです。


と言うか、当事者でない限り1つの事象に対して24時間365日考えることなんて無理なのかもしれません。


自分の状況を言い当てられたようで、バツの悪さと見ようとしていなかった自分の嫌な部分を理解してしまいました。


理解した後でも直接被災地に行くわけではないし、ボランティアに参加するわけではないし、毎年のYahoo!の検索をするだけ。
(普段Yahoo!を使うことないのに)



でも、完全に忘れるよりかは1年に1度だけでも思い出す方が良いかもしれないとブログ記事にはあります。


今日をきっかけにして、大切な人と話をしたり、伝えていない思いを伝えたり、やり残していることをやってみたり。


私自身は家族のことがあって、本当に人はいつ死ぬか分からないことを痛感しています。
(それなのに恥ずかしくて連絡していなかったりするのですが…)



毎日この日が来ると、「1年をどう過ごしましたか?」「周りの人に感謝を伝えていますか?」なんて問いかけられているような気がします。



今日と言う日に震災があったこと、今日と言う日が来たことで思い出してまた来年のビンタを待ちます。


今日は好きなごはんを食べよう。